書店に入ったとき、入り口の平台で「哲学トレーニングブック」という本が目についた。手に取ってみたが、わたしにはまだまだ早いかなという感じだったので、すぐ元に戻した。
副題が「考えることが自由に至るために」とある。どういう意味だろう。なんだか気になる。その上、帯には「哲学における究極の賭博性!」とあり、ますます訳がわからない。
しかし店を出るまでその本が気になってしまい、結局購入してしまった。
哲学は役に立つか
まえがきで著者は、この本は「哲学書を読む哲学書」だと言っている。〈読む〉という営みを先鋭化し、〈読むこと〉を徹底的に行なうことが、この本に通底するスタンスだ。
そして第一章の初っ端で、ヤスバース『哲学入門』の第一講「哲学とは何ぞや」を踏まえて、哲学とは〈自己反省という側面をもつ知的活動〉の一種と言っている。
この本では哲学の古典テーマに関する重要作品を取り上げ、それをできる限り明快な仕方で読み解き、理解を深めることを目指している。
ただし内容的に難しい話題を避けるという安易な妥協は慎んでいるらしく、一度読んだぐらいではなかなか理解するのが難しい。
千葉雅也の『勉強の哲学』へのコメント
いくつか取り上げられている哲学書の中にも一冊だけ、わたしが読んだ本もあった。千葉雅也氏の「勉強の哲学 来るべきバカのために」だ。ただ、ここで取り上げられているのは、増補版の方だ。
わたしが千葉氏に興味を持ったのは、「ライティングの哲学」を読んでからだ。この本では書くことを仕事の一つにしている四人が、座談会形式で書けない悩みを打ち明けあっている。
この本は一つの執筆論で、書けない悩みというよりも、書き終われない病への処方箋だと思う。
ヘーゲル的な「反ヘーゲル的」勉強論
まず山口氏はこの「勉強の哲学」を、一読で判明できるほどヘーゲル的だと言い切っている。
そして最高のパンチラインとして、「勉強によって自由になるとは、キモい人になることである」と言う一文を取り上げている。
そして、この一文には、ヘーゲル的モチーフとの共鳴があり、この本で展開される原理的「勉強法」は弁証法的な動性を特色としている。
ただ、それだけでなくこの本には「反ヘーゲル的」側面もあり、勉強をバカという状態からの離脱として規定するのではなく、むしろ勉強をバカという場に内在的な運動として理解している。
わたしも一応読書ノートと言うほどではないが、読書後に気づいたことはノートに箇条書きでメモをしている。今、そのノート見ながら比較しているのだが、わたしのメモにはヘーゲルの「へ」の字も出てこない。
う〜む。同じ本を読んでいるのに、こうも感じ取るところや思うことが違うのかと感心させられてしまった。とても勉強になる。
そして千葉氏は、ヘーゲル的で「反ヘーゲル的」な勉強法を彫琢しているらしい。
四六判宣言 第22弾!
この本には今まで見たことがない、黄色いシールが貼ってあった。どうやら人文系の専門出版社11社による共同企画で、「四六判」の単行本だけを集めたブックフェアのようだ。
四六判とはもちろん本のサイズのことで、人文系専門書出版社11社とは、大月書店・紀伊國屋書店・春秋社・晶文社・人文書院・青土社・創元社・白水社・平凡社・みすず書房・吉川弘文館だ。
「文庫では読めない本たち」と言うコンセプトのもとに、文庫のように大量生産できないが、読み継がれるべき基本図書やロングセラーを読者に届けようと、毎年全国の書店で企画・展開されている。